日吉ヶ丘高校山岳部 創部2年目のOBの今と昔




2008年4月 OB・矢野正明氏 絵画個展
『チベットからネパール、インドへ』 より
(画像をクリックすと、エッセイをご覧いただけます)



山岳部創設期の記憶 Part.T
1960
夏山合宿
〜回想〜 『当時を思い出して』 より抜粋

・・・朝食後、当時北アルプス最奥の山と言われた「薬師岳」に向かうことになった。
当時、まだ「薬師岳」へは有峰ルートが出来ておらず、どこから行っても、最短で3日はかかった。
出発して、しばらくして樹林帯を抜けたが、7月28日も天候は回復せず、見通しは悪かった。
間山を越え、尚も登り続け、砂礫地帯を行く頃には皆かなり疲れていた。
ようやく、登頂して喜んだのもつかの間、そこは北薬師岳であった。
「薬師岳」はまだまだ先であった・・・

(中略)

7月29日。山に入ってから5日目。
太郎山を過ぎて、草原を下って、北ノ俣岳(2662m)の登りにかかる。
本日は珍しく午前中は晴れわたり、どこまでも続く高山植物が残雪と相俟って、とても美しい。
皆も心もち、足が軽やかなように感じる。
さすがに北アルプスの奥地だけにほとんど登山パーティに出会わない。
ただ、帝京高校山岳部メンバー(約15名)とは毎日同じ行程で、抜きつ抜かれつで槍ヶ岳までキャンプ地も同じである。
この長い縦走には、たまには大学山岳部に会うことはあるが、帝京高校以外の高校の山岳部には会わなかった。
彼らは全員制服で、持ち物も組織化され、洗練され、さすがに東京人と感心した。
それに比べ、我々貧乏部隊は、なりふりかまわず、服装もばらばらで、唯一、日吉ヶ丘山岳部と書いた麦藁帽と「ファイト!ファイト!ヒヨッサン!」という掛け声だけが統一されたものであった・・・
(全文はこちらから)  

OB・矢野正明氏 随想

日吉ヶ丘高校山岳部が設立されて2年目で、私は山岳部長兼キャプテン(顧問は地学のY先生)にさせられ、京都の高校山岳界では実績がなかったが、何とかTOPクラスに立ちたいと思っていた。(2〜3年後に京都府下のリーダー校になる)
そのきっかけのひとつは、日吉ヶ丘高校OBのI先輩が京大学士山岳会(AACK)として、ヒマラヤのチョゴリザ(7665m)初登攀に隊として参加し、我校に講演にきていただいたことが、若い私のハートに火をつけた・・・
毎日、部員は近くの稲荷山でトレーニングに励み、うさぎ跳び、腹筋、腕立伏せなど血の出るような訓練をした。(中略) 構内では地下から4階まで何回も人間背かつぎをしたり、屋上から懸垂下降で降りたり、高度恐怖症になれるため、屋上のひさしで、足をブラブラしながら弁当を食べたこともある・・・
(続きは、こちらから参照できます)  




2008年4月 OB矢野正明氏 絵画個展より (右端がご本人)



山岳部創設期の記憶 Part.U
1963
夏山合宿
〜回想〜 『当時を思い出して』 より抜粋

・・・メンバー12名全員が日吉ヶ丘高校1年の山岳部員で、指導陣は同行OBで、リーダーが大阪工大、サブリーダー2名と私が同志社大学の学生という異色の構成であった。
まだ、体のできてない高校一年生部員に、今では考えられない重い荷物を担がせ、長い縦走路【何箇所かは難所】を歩かせ、定地合宿では雪上技術、岩登り技術の実践訓練と大学山岳部並の計画で、背伸びした計画であった・・・

(中略)

7月28日は鹿島槍ヶ岳から八峰のキレットの岩稜地帯に入り、鎖に助けながら、思いキスリングに気を付けながら、通過する。
今と違い、当時のザックは横長で横の袋に岩が触れ、反動で振り落とされそうになる。
横ざしにしたピッケルを岩にあたらないように気をつけながら慎重に通過する。
もちろん転落すれば命はない。
一人一人に注意し、アドバイスしながら、通過に充分時間をかける。
それ以外のことは現在、ほとんど覚えていない。
みんながんばってくれて、無事、通過することが出来た。
これらのことは彼らの両親には話せない。親は心配であったであろう。
親になって、初めてこのことが解る・・・
(全文はこちらから)  

以下、当時の 『夏山合宿 計画書』 より抜粋

 本格的な夏山シーズンを迎え、部員一同心をはずましている事と思う。
我日吉ヶ丘高校山岳部も例年のごとく北アルプスに於いて2週間にわたる「山岳部の花」夏山合宿を挙行する。
 この合宿に中堅・中心者ともいうべき2年部員を欠く事は非常に残念である。
又、3年部員は就職、入試と参加は困難を極め、本山岳部の最大のピンチである。
が、1年部員15名を数え、本部の今後の発展のために、OB諸氏の協力を得、異例のOBリーダーによる後立山縦走、剣沢定置合宿を行うに到った。
 ついては一年諸氏の中には初めての3000m級登山の者も多いことだろうが、日頃のトレーニングとして養成登山の心意気でみんな2年生部員のつもりでファイトを持って大自然に打ち勝ってっもらいたい・・・           リーダー 岩城
『1963 夏山合宿 計画書』(復刻版)は、こちらから参照できます  





このページは、OB・矢野正明さんから頂いた資料をもとに、サイト管理者が代理製作したものです。
転載・再利用等については、下記サイトの管理者にご連絡ください。